待望 〜コロナ禍での経済学その2

日頃のご愛顧ありがとうございます。店主の高野です。

先日、首都圏に緊急事態宣言が出てから東京だけでなく、仙台もてきめんにひっそりとなりました。東京の2店舗は時短要請に応じて8時まで営業としてますが、早速、恵比寿は先日お茶を引いてしまいました。このご時世で営業時間2時間の中、それほど驚きではありませんでしたが、この先1ヶ月で5回くらいあるのではないか?と予想しております。

年末の時短要請には応じてこなかった我々ですが、今回の要請に応じたのは東京都の1店舗あたり1日六万円の協力金という額です。一事業者あたりではなく店舗ごとにとなると、東京都の本気度が伝わると同時に財政支出に対する麻痺みたいなものすら感じます。我々25席規模の店となると六万円の協力金と、どうせ店も暇だろうと2人体制に絞り、8時で店を閉めて雇用調整助成金を申請するとほぼトントンでやっていけると踏みました。そうなると完全に1ヶ月間店を閉めて助成金で従業員の給料を100%補うという選択肢もあるのですが、そこは商売をしてる意地みたいなもので短時間でも看板を付けるというとこにこだわりました。

ただ、このような条件を与えられ、ビジネスルールが変わってくると戸惑いも覚えております。経営側からすると従業員には「無駄に働かずさっさと帰って、より多くの雇用調整助成金を申請させてくれ」というインセンティブが働き、本来の持ってる資源を最大限に活用し利益をより多く追求する意欲が完璧に消えてます。

また、個人的には社会人として財政問題に関心を持ち、年金・医療費問題の展開を見てきましたが、この1年間の政策を見てきたら、そんなことにこだわってることが馬鹿馬鹿しくなってきて、こうなったらとことん税金から貰えるものは貰ってやろうという気になってきました。この1年間で私が事業でもらった給付金、助成金は、これまで私が払った税金を超えてるのではないでしょうか?

現状、世界でまだ成長を見せてる国は中国くらいではないかと思いますが、この一年で地球上で失った総生産は1000兆円単位であるのではないでしょうか?これプラス地球上の80億人の精神的負担と失った時間を考えると、今我々が守ろうとしているものはそれに見合ってるものなのか考えさせられます。

世の中に落ち着きを取り戻す日は、コロナを完全に封じ込めた時なのか世界中で集団免疫を得た時なのか分かりませんが、それまでうちの会社も生き延びて、本来やるべきことをまともにやれるようになる日を待ち侘びてます。