我々の魚屋 その二


店を開くに当たって魚屋を見つけるのはどうしたかというと、私の場合、当時まだサラリーマンで築地に何もコネのない私は、毎週土曜の朝に築地に行って、適当なお店で適当な魚を買っては、他の店も紹介してもらってそこでも買い物をして、自分の狙うクオリティ、値段の魚屋を探したわけです。そんな中で良い印象のお店に決めたわけですが、それが原由(はらよし)という小松さんが働いていたお店だったわけです。

当時、原由の番頭は野口さんというおじさんがいて、彼から買った魚がたまたま良かったからということだったのでしょう。店を開いてからは、野口さんとの取引が始まりましたが、この人はいかにも河岸の男という感じで、まず「アジを5尾」と頼むと、大抵6尾入ってて、ちゃんと金も付いてました。我々のような居酒屋で普通3キロのヤガラなどという魚を必要としないのですが、店で余ってるとよく買わされていました。一度、店頭で腹の破れているサヨリを勧められ「腹が破れてるじゃないですか」と断ると、ダーゲットを別なお客さんに定め「下ろしてあげるから」と言って、チラッと裏に行って何匹も全て三枚に下ろして安く売りさばいてしまいました。そうなるとお客さんからは腹が破れてたかどうかも関係ない上、下ろしてもらって、安くしてもらってるのだから、得した感じすらしてしまうのかもしれません。そして彼はこれがテクニックだよと言わんばかりに私にウインクし、私は「こうやって売りさばくのか!」と感心すらしました。当時、帳場のお姉さんは野口さんのことを大嫌いなものの、「野口の選ぶ魚は社長も認めてる」と目利きだけは信用されていた人でした。

そんなある日、原由の社長が亡くなり、後ろ盾がいなくなったような野口さんはリストラで肩たたきされてたようですが、「これからはお前らの相手は小松だから」と言われ、それからは小松さんに直接注文するようになりました。野口さんはその後、原由を辞め、一年くらいいろんな魚屋を転々としてましたが、ガンになってしばらく河岸から消えてましたが、戻って来てからある年末に挨拶に行ったら、今度自分で店持つからと準備を進めてました。一方で同時に、先代が亡くなった原由は社内の雰囲気も悪くなっており、楽しくなさそうな小松さんを「あいつ俺とやらないかな?」といっていたところで、野口さんは容態悪化しちゃってそのまま死んでしまいました。その野口さんが立ち上げようとしていた魚屋が今の小松さんの魚屋です。

売り方は強引でも、とてもシャイな野口さんは、我々の魚屋さんについて語る時に外せない人物です。


※写真左は小松さん、右は文中に出てくる野口さんではありません


~次に続く