玉置健太




日頃のご愛顧ありがとうございます。店主の高野です。
早くも11月、今年も残すところ2ヶ月になってしまいました。今月中旬に目指していた新店舗のオープンは月末にずれ込みそうです。飲食店の稼ぎ時である12月は、かなりバタバタすることを覚悟しております。

さて来年の3月いっぱいで閉める仙台店ですが、一足先に5年勤めてくれた学生バイトの玉置(たまおき)健太が10月いっぱいでバイトを上がりました(うちの従業員には玉置という2人いた。しかもそれはタマキと読むのではなく2人ともタマオキと読み、彼らは親戚同士ではない)。「あと半年なんだから最後まで付き合えよ」という話はもちろん出るでしょう。
玉置健太は、愛知から二浪して東北大学工学部に入り、一年生からうちのバイトに入ってもらい、現在大学院2年生、来春からそのまま博士課程に進む本気で研究活動してる若者です。
以前「なんでお前そんなに賢いのに二浪もしてたの?」と聞いたら、「名古屋大学の機械航空を目指してたけどこれ以上親に迷惑をかけれないと思って東北大に来ました」と言ってました。なんとこいつにとっては、東北大工学部は妥協して入ってきたやつだったのか!と感銘を受けました。
そして彼は入学してからは、鳥人間コンテストに出るためのサークル・ウインドノッツに所属し、毎年琵琶湖に飛行機を飛ばしに行ってました(3年ぶりに開催された今年のコンテストで、「今まで飛行機作ったことない奴らで大会出れるの?」と聞いたら、「今年は2年前に作りかけて埃を被ったやつが倉庫に眠ってるんでそれを使いますけど、問題は来年です」と言っていた。そして東北大学は無事優勝した)。
しかし、彼の研究分野は結局、航空とは関係のないアンモニアとなり、「お前、仙台まで来てアンモニアの研究して二浪した甲斐があったのか?」と尋ねると、「親から離れれたのでよかったと思います」と答えた。
2年前、別なバイトが急病で倒れ、最期になるかもしれないからと、健太と2人でお見舞いに行きました。病院を出てから彼は私に人生の意味について問いかけてきました。あまりに真剣なものだから1時間も深夜の病院の駐車場で付き合っていたものの、あまりに寒くて、骨の髄まで凍えてきたので、もう帰ろうぜと促すほどでした。
こんな玉置健太なので、気軽に、自分のことしか考えずに辞めると言い出すやつじゃないのは分かっています。彼にとっては今年度中に論文を仕上げるには全身全霊で取り組みたいのでしょう。彼にとっては、本気でアンモニアで世界を救えると取り組んでいるのでしょう。すでにコロナ中に海外で学会で発表してきたり、海外コネクションも築きつつあり、なかなか良い出だしだと思います。これが彼のノーベルにつながる小さな一歩になるので有れば、うちを抜けることは大したことではないと承諾しました。

写真は奥から玉置、タケ、トシキ、渉と仙台の学生バイト陣